子どもが学校に行けなくなったとき、
「見守る」という言葉に、何度も立ち止まりました。
見守るって、思っていたよりずっと深いものでした。
見守ろうとしていたのに、うまくできなかった
朝は、学校の時間になると
アラームを鳴らしたり、音楽を流したり、
起きないかなと、いろいろ試していました。
気になりそうなアニメの曲を流してみたり、
お布団を持っていったり。
でも、それは最初のうちだけでした。
「これは起きないやつだな」
「行かないんだな」
そう思ってからは、起こすことをやめました。
ゲームをしているときは、
Wi-Fiを切ったこともあります。
今思うと、とても怖いことをしていたなと思います。
もし自分が同じことをされたら、困るはずなのに。
そんなこともありましたが、ゲームについても何も言わなくなりました。
むしろ、どんなゲームをしているのか、
どんな世界にいるのかを知ろうと思うようになりました。
何かあったときに守れるように、
知っておきたかったのかもしれません。
ゲームが好きなこと自体は、
悪いことではないと思っています。
休んでいる間に、
ゲームを作れるようになるくらいまで極めるのも、
ひとつの過ごし方かもしれません。
でも、そこまでを本人が望んでいないときに、
「将来のために何かできることを」と
大人の考えで進めてしまうと、
それはそれで、
子どもにとってはしんどいものになるのかもしれないと、
今は思っています。
進学や進路の話になると、
私は少し焦っていたと思います。
全寮制の学校を調べて、見学に行ったりもしました。
「こういう学校もあるよ」
「見てみる?」
そうやって選択肢を伝えていたつもりでしたが、
もしかしたら、追い出されるように感じていたかもしれません。
その子にとってのタイミングがあるのに、
私のタイミングで動いてしまっていたなと、今は思います。
👉 関連記事:
[見守るってどういうこと?と迷ったときに考えていたこと]
今なら、少し違う関わり方をすると思います
今なら、少し違う関わり方をすると思います。
朝は無理に起こすのではなく、
「起こしてほしい日は教えてね」と伝える。
ゲームも、取り上げたり制限するのではなく、
どういう時間を過ごしているのかを一緒に知る。
想像や決めつけではなく、
ちゃんと聞いてみる。
それだけでよかったのかもしれません。
👉 関連記事:
[何も言わない方がいいの?と迷ったときの話]
私はもともと、怒ることはあまりなく、
命令口調で話すこともありませんでした。
それでも、
「もっと優しくできたんじゃないか」
と思うと、涙が出てくることがあります。
今は同じ家で暮らしていて、
関係も悪くありません。
それでもふと、
「あのとき、もっと優しくできたかもしれない」と思うのです。
たぶんそれは、
一緒に過ごせる時間には限りがあると、
どこかで分かっているからだと思います。
当たり前のように続いていくと思っていた時間も、
いつか形を変えていきます。
あの時間は、
大変なこともたくさんあったけれど、
それでも、
とても愛おしい時間だったのだと思います。
うまくできなかった日も、
迷っていた時間も、
きっと全部、
その時にできる精一杯でした。
もし今、同じように迷っている方がいたら、
うまくできなくても大丈夫です。
完璧じゃなくても、
関わりはちゃんと続いていきます。
こうした迷いや気づきを、
少しまとめたものもあります。
必要なときに、思い出してもらえたらうれしいです。
